星の王子さま
Antoine de Saint-Exupéry
アントワンヌ ド サンテグジュペリ著
原作「Le Petit Prince」
鈴木しずか 訳(朗読編集版)
一 序
僕は、ずっと独りぼっちだった。
心からわかりあって話をできる人がいなかったから。
サハラ砂漠での事故に遭うまでは。
それは、今から六年前のことだった。
飛行機のエンジンの何かが壊れたのだ。
整備士も乗客もいなかったので、ひとりで難しい修理をすることになった。
生きるか死ぬかの問題だった。
飲み水は一週間持つだろうか?
二 出会い
最初の夜、人里から何百キロも離れた砂の上で眠りについた。とても心細かった。船が難破して、いかだの上で大海原の真っただ中を漂っている人でもこれほど孤独ではなかっただろう。だから、夜明けに不思議な声で起こされた時、僕がどんなに驚いたかおわかりだろう。
「おねがい、羊の絵を描いて……」
「えっ!」
「羊の絵を描いて……」
僕は雷に打たれたように飛び起きた。目をこすって、よーく見てみた。すると、今まで見たこともない雰囲気の小さな男の子が思いつめた様子で僕をじっと見つめていた。道に迷っている様子もなく、お腹がすいている様子も、疲れている様子も、のどが渇いている様子も、怖がっている様子もない。人里から何百キロも離れた砂漠の真ん中で迷子になった子どもとはどう見ても思えない。
「いったい、ここでなにしてるの?」
「おねがい……羊の絵を描いて……」
信じられないことに出会うと、断れなくなるらしい。バカげていると思いながら、ポケットから一枚の紙と万年筆を出して、絵を描いた。
「ダメ! これは、病気にかかっているよ、他のを描いて……」
僕は描きなおした。
「こんなんじゃないよ、これは雄羊だよ。ほら、角があるでしょ」
僕は、また、描いた。
「これは、もうヨボヨボだよ。ぼく、長生きする羊がほしいんだ」
早くエンジンを解体しなきゃいけないというのに……それで、急いで箱を描いて、三つの空気穴を加えて、渡した。
「これは、箱だ、君の羊は中にいるよ」
「これだよ、こんなのがほしかったんだ。ねぇ、この羊、草をたくさん食べると思う?」
「どうして?」
「だって、ぼくのとこ、すごーく小さいんだ」
「きっと、大丈夫だよ。とっても小さい羊をあげたからね」
「そんなに小さくないよ……あれ、羊、寝ちゃった」
こうして、僕は小さな王子さまと出会ったのだった。
三 王子さまはどこから?
王子さまがどこから来たのかがわかるには、時間がかかった。僕に質問をたくさんする王子さまは、僕の質問には全く耳をかさない。たまたま口をついて出た言葉から少しずつわかってきたのだ。たとえば、僕の飛行機を初めて見た時、
「そこに置いてある物はなあに?」
「これはただの物じゃない、空を飛ぶんだ。飛行機だ。僕の飛行機だよ」
「えぇ! 空から落ちてきたの?」
「そう」
「あぁ、そりゃ面白いや。じゃあ、おにいさんも空から来たの? どの星から?」
「それじゃ、君はどこかほかの星から来たってこと?」
「そうだよね。これじゃ、そんなに遠くから来られやしないね……」
「でも、君はどこから来たの? ねぇぼうや、『ぼくのとこ』ってどこ? 僕の羊をどこへ連れて行くつもり?」
「よかった、箱をくれたんで。夜には、羊の小屋になるから」
「そうだね。大事にするなら、昼間、つないでおく綱をあげるよ。それと、それをくくりつける長い棒も」
「つなぐって? なんで、そんな変なこと考えるの!」
「でも、つないでおかないと、どこかに行っちゃって、いなくなっちゃうだろ」
「でも、どこへ行くっていうの?」
「どこへでも、まっすぐ前にとか……」
「大丈夫、とっても小さいんだから、ぼくのとこ。まっすぐ行っても、そんなに遠くには行けやしないんだ……」
こうして、大事なことがもうひとつわかった。王子さまの星は、やっと一軒の家くらいの大きさしかないということが。
四 夕日
あぁ、小さな王子さま、そのメランコリックな暮らしぶりが少しずつわかってきた。長い間、心が晴れるのは、しずかな夕日を見る時だけだったんだね。
「夕日が大好きなんだ。お日様がしずむのを見に行こう」
「でも、待たなきゃ……」
「待つって、なにを?」
「日がしずむのを」
「ぼく、また、自分のとこにいると思っちゃった」
たしかに、アメリカで正午の時、太陽は、みんなも知っての通り、フランスでしずんでいく。アメリカから一分でフランスまで行くことができれば、夕日を見ることができる。でも、あいにく、フランスはあまりにも離れている。だけど、王子さまの星では、座っている椅子ごと二、三歩動くだけでいいのだ。見たい時にいつでも夕日を眺めることができるのだ。
「ぼくね、ある日、四十三回も日がしずむのを見たんだ! ねぇ、とっても悲しい時には夕日を見たくなるよね……」
「じゃあ、四十三回見た日は、そんなに悲しかったのかい?」
五 トゲ
五日目、僕は固く締まりすぎているボルトを緩めようと、必死だった。飛行機の故障はかなり深刻に思えてきて、気が気ではなかった。それに飲み水もなくなりかけて、最悪の事態を心配していた。
「羊は、草を食べるの?」
「そうだ」
「花も食べる?」
「羊は、目の前にあるものを何でも食べるさ」
「トゲのある花でも?」
「トゲのある花もだ」
「じゃあ、トゲは、なんの役に立つの? ねぇ、トゲはなんの役に立つの?」
「トゲは、なんの役にも立ちゃしない。たぶん、意地悪な花にはついているのだろう」
「あぁ…そんなこと信じない! 花は、か弱いんだ。無邪気なんだ。なんとかして、安心したいんだ。トゲがあるから、大丈夫だと思っているんだ。それなのに、トゲは、役に立たないって言うの? 花は……」
「いいや、なんにも思っちゃいない! いいかげんに答えただけだ。僕は、大事なことをしてるんだ!」
「大事なことだって?」
「そうだ」
「大人みたいなことを言うんだね! なんでもごちゃまぜにしてるよ……いっしょくたにしてるんだ! ぼくはまっかな顔のおじさんのいる星を知っている。その人は、花の香りをかいだこともない。星を眺めたこともない。人を好きになったこともない。足し算のほかは何もしたことがない。そして、一日中、繰り返しているんだ、『大事なことで忙しい、大事なことで忙しい』って。そして、ふんぞりかえっていたんだ。でも、それは、人じゃないんだ。キノコなんだ!」
「エッ、なんだって?」
「キノコだ! 何百万年も前から花はトゲをもっている。それでも羊は何百万年も前からトゲのある花を食べる。だったら、どうして花が役にも立たたないトゲをわざわざ作っているのかを知ることが大事じゃないの? 羊と花の戦いは大事じゃないの? それよりもまっかな顔のおじさんの足し算の方が大事だっていうの? ぼくに、世界でたったひとつしかない花、ぼくの星のほかにはどこにもない花があって、ある朝、小さな一匹の羊が、うっかりと、その花を食べてしまうかもしれなくても、それはどうでもいいことだっていうの? 何百万、何百万とある星のうちのたったひとつの星に咲いている花を好きになったら、星空を眺めるだけで、幸せになれる。『ぼくの花は、あのどこかにある』って思ってね。でも、もし羊がその花を食べてしまったら、まるで星という星が全部いきなり消えてしまったみたいなんだ。それが、大事じゃないっていうの!」と、突然わっと泣き出した。
夜になっていた。僕は道具を手放した。なにもかも、どうでもよくなった。ハンマーもボルトも、のどの渇きや、死の危険さえも。
ひとつの星、ひとつの惑星、僕のいるこの地球に、慰めてあげなきゃいけない王子さまがいる。僕はその王子さまを抱きしめ、やさしくあやした。
「君の好きな花は、なにも心配しなくていいよ。口輪を描いてあげる、君の羊に……ウン……君の花には、なにか身を守るものを描いてあげる……それから……」どう言えばいいのかわからなかった。自分はなんて気が利かないんだろう。どうしたら、この子の心に届くのか、心を通わせるようになるのか、わからない。
六 花
まもなく、その花のことがどんどんわかってきた。ある日、どこからか飛んできた種から、芽が出たのだ。王子さまは、そこからどんなすばらしい花が出てくるかと、わくわくした。でも、その花は、緑色の部屋に隠れたままで、なかなかおめかしをやめなかった。念入りに色を選んで、ゆっくりとドレスを着て、はなびらを一枚一枚整えた。美しさに輝いて、姿をあらわしたかったのだ。そう、とってもおしゃれだったのだ。だから、隠れたまま、何日も、何日も身支度を続けた。
そうして、ようやくある朝、ちょうどお日様が昇るころに、花は姿をあらわした。
「あぁ、いま目が覚めたばかりなの……あら、ごめんなさい、まだ髪がくしゃくしゃね……」
「あっ、なんてきれいなんだ!」
「でしょう。わたし、お日様と一緒に生まれたんですもの。そろそろ朝ごはんの時間じゃないかしら? わたしも何かいただけるかしら?」
王子さまは、どぎまぎしながら、じょうろに水をくんできて、花に水をやった。
花はすぐに気難しい見栄を張って、王子さまを悩ませるようになった。たとえばある日、自分の四つのトゲの話をして、
「トラが来るかもしれない、ツメをたてて!」
「トラなんて、ぼくの星にはいないよ。それに、トラは草なんか食べない」
「わたしは、草じゃありませんわ!」
「あっ、ごめん」
「トラなんてこわくないわ。でも風にあたるのはごめんよ。衝立はありませんの? それから、夜はガラスのカバーをかけてくださらない、ここは、とっても寒いわ、居心地が悪いの。わたしが前にいたところは……」
花は口をつぐんだ。花は種のかたちでやってきた。ほかのところなんて知るよしもない。つい無邪気にうそをついてしまったのが気まずくて、花は二、三度せきをして、悪いのは王子さまの方にしようとした。
こうして、王子さまは、ほんとうは花を好きだったのに、花を信じられなくなっていった。あまり意味のない言葉をまともに受けて、とてもみじめな気持ちになっていった。
「ぼくは、耳をかたむけてはいけなかったんだ。花の言うことなんか、聞くもんじゃないんだ。花は、ながめて、香りをかぐものなんだ。あの花は、ぼくの星をいい香りでいっぱいにしてくれた。ぼくを明るくしてくれた。なのに、ぼくはそれを楽しむことができなかった。ぼくは逃げ出すべきじゃなかったんだ。ずるそうな言葉の裏にあるやさしさに気がつかなきゃいけなかった。花はほんとうにあまのじゃくなんだ! ぼくは、まだ、あまりに幼くて、愛するってどういうことかわからなかったんだ」
星から出るのに、渡り鳥を利用したのだと思う。王子さまは花に最後の水やりをし、ガラスのカバーをかけようとした時、泣きたくなっているのに気がついた。
「さようなら……さようなら」
「わたし、おバカさんだったわ。許してね。幸せになってね。あなたが好きなのよ。そう、好きなの。知らなかったでしょう、わたしが悪いのね。そんなことどうでもいいわ。あなたも、わたしと同じようにバカだったのよ。幸せになってね。カバーはかけなくていいわ。もういいの」
「でも、風が吹いたら……」
「ひんやりした夜風は気持ちがいいでしょう。わたし、花ですもの」
「でも、虫やほかの……」
「毛虫の一匹や二匹はがまんしなくちゃ、チョウチョと仲良くなれないわ。とってもきれいなんですってね。そうでなきゃ、誰が訪ねてくるの? あなたは、遠くへ行っちゃうし……大きな動物も怖くないわ、わたしにはトゲがあるから。ぐずぐずしないで……いらいらするわ。行くって決めたんでしょ。さあ、早く行って」
花は涙を見られたくなかったのだ。
七 点灯人
王子さまは、やるべきことを見つけたり、見聞を広めるために、近くの星から訪れることにした。最初の星には、王様が住んでいた。二番目の星には、うぬぼれやが。三番目の星には飲んだくれ。四番目の星には、まっかな顔をした足し算ばかりしているビジネスマン。
旅を続けながら、王子さまは「大人って、ほんとうに、とっても変だなぁ!」とひとりつぶやいた。
五番目の星は、とっても変わっていた。一番小さな星だった。ひとつの街灯と、その街灯をともしたり消したりするひとりの点灯人がいるだけの広さしかなかった。
「こんにちは。どうして、今街灯を消したの?」
「そういう決まりなんだ。こんにちは」
「『キマリ』って何?」
「街灯を消すことだよ。こんばんは」
「どうしてまた、つけたの?」
「そういう決まりなんだよ」
「わからないよ」
「わかることなんかないんだよ。決まりは決まりなんだ。こんにちは。ひどい仕事だよ。前は、まともだったのに……朝消して、夜につける。昼間は休めたし、夜は眠れたんだ」
「それで、いつから決まりが変わったの?」
「決まりは変わってないんだ。それが問題なんだよ。星は年々どんどん速く回っていくのに、決まりは変わらないんだ!」
「それで?」
「それで、今では一分にひとまわりするから、一秒だって休んでる暇がないんだ。一分ごとにともしたり、消したりしているんだ」
「それは、おかしいね。ここでは、一日が一分なの?」
「ちっともおかしくないよ。こうして、話しているうちにもう一か月になるんだよ」
「一か月?」
「そう、三十分。だから三十日! こんばんは」
「ねぇ、ぼく、好きな時に休める方法を知っているよ」
「いつだって休みたいさ」
「この星は、ほんとうに小さいから、大股で三歩も歩けば一周できるでしょ。ゆっくり歩くだけで、いつでもお日様の当たっているところにいられるから、休みたい時には歩けばいい。そうすれば、好きなだけお昼間が続くよ」
「それじゃ、なんにもならないよ。おいらがこの世で一番好きなのは、寝ることなんだ」
「ついてないね」
「ついてないよ。こんにちは」
「あーあ、あのおじさんとなら、友達になれると思ったのに。だけど、あの星はほんとうに小さすぎて、ふたり分の場所はなかったもの……」
王子さまは、口に出さなかったが、その星を去るのを残念に思ったのは、その星が二十四時間に千四百四十回もの夕日に恵まれていたからだった。
八 ヘビ
六番目の星には地理学者が住んでいて、王子さまに地球を訪ねるようにすすめた。評判のいい星だというのだ。
こうしたわけで、七番目の星は地球だった。
王子さまは誰もいないのでびっくりした。星を間違えたのかと不安になった。その時、砂の中で、月の色をした輪のようなものが動いた。ヘビだ。
「こんばんは」と王子さまは、あいさつをしてみた。
「こんばんは」
「なんていう星なの、ぼくが落ちたのは?」
「地球だ。ここはアフリカだ」
「えぇ……じゃあ地球には、誰もいないの?」
「ここは、砂漠。砂漠には人はいない。地球は大きいのさ」
「ぼくの星を見て。ちょうど真上にある」
「美しい星だ。ここへ何しに来たんだい?」
「ぼく、ある花とうまくいかなくなったんだ」
「ああ!」
「人間はどこにいるの? 砂漠って、寂しいね」
「人間のいるところでも、寂しいものさ」
「変わった動物なんだね、指みたいに細くて……」
「だけど、王様の指よりも力があるんだ」
「そんなことないでしょ。足もないし、旅だってできやしない」
「大きな船よりも、もっと遠くまでお前を連れて行けるさ。俺様がさわったものは、元いたところに還してやるのさ、俺様がね。だけどお前はけがれていなくて、ほかの星から来たのだろう。あわれだなぁ、こんなにか弱くて、この冷たい岩の地球に来て。もし、いつか自分の星が恋しくなったら、助けてやるよ。俺様が……」
「うん、わかったよ。でもどうして謎みたいなことばかり言うの?」
「俺様には、謎がすべて解けるから」
九 キツネ
王子さまは、長い間、砂漠と、岩と、雪の中を歩き続けて、やっと一本の道を見つけた。道はすべて、人間のところへつながっている。そこには何千ものバラの咲いている庭があった。バラは王子さまを迎えて言った。
「こんにちは」
王子さまは、驚いて言った。
「あなたたちは、誰?」
「バラよ、わたしたち」
「ええ! ……ぼくは、この世に一輪だけの宝物のような花を持っていると思っていたのに、実は、ありきたりのバラだったなんて……ひとつの庭に同じようなのが五千もあるなんて……ぼくはたいした王子じゃないんだ」
そして、草の上に寝そべって泣き出した。
「こんにちは」
「こんにちは。誰なの? かわいいね」
「オイラは、キツネ」
「ぼくと一緒に遊ぼうよ。とっても悲しいんだ」
「あんたとは一緒に遊べないよ。だってオイラはまだなついてないんだ」
「あっ、ごめん、『ナツイテナイ』って、どういうこと?」
「このあたりの者じゃないね……何を探しているんだい?」
「人間を探しているんだ。『ナツイテナイ』ってどういうこと?」
「人間かぁ、人間は鉄砲を持って狩りをする。まったく困ったものだ。ただ、あいつらはニワトリも飼っている。いいのはそれだけだ。あんたもニワトリを探しているのかい?」
「ううん、友達を探しているんだ。ねえ、ナツイテナイ……『ナツク』ってどういう意味?」
「ずいぶん忘れられていることだ。『絆をむすぶ』ということさ」
「『キズナ』をむすぶ?」
「そうとも。あんたはオイラにとっては、世の中に何千といる、ただの男の子だ。だから、オイラはあんたがいなくたってかまわない。あんたもオイラがいなくても別になんともない。オイラはそこらにわんさといる一匹のキツネにすぎないんだからね。だけど、あんたがオイラと絆をむすんで仲良しになってくれたら、お互いになくてはならない仲になるんだ。あんたは、オイラにとってこの世でかけがえのない存在になる。オイラもあんたにとって世界で唯一のキツネになるんだ」
「なんだか、わかってきたよ。一輪の花があってね、ぼくは、その花と絆をむすんじゃったんだ」
「ありえる、ありえる。地球ではなんだって、ありだから」
「ううん、地球でじゃないの」
「ほかの星でのことかい?」
「うん」
「狩人はいるのかい? その星には」
「いない」
「そりゃいいね。で、ニワトリは?」
「いないよ」
「うまくいかないもんだな。オイラの暮らしは単調そのものだ。オイラがニワトリを追いかけ、そのオイラを人間が追いかける。ニワトリはどれもみんな同じようだし、人間もみんな同じように見える。だから、ちょっと退屈しているんだ。でも、もしあんたが、絆をむすんで仲良しになってくれたら、オイラの暮らしは、お日様が当たったように明るくなるだろう。あんたの足音の違いがわかるようになるんだ。いつもは、足音がしたら、急いで巣穴に隠れる。だけど、あんたの足音が聞こえたら、まるで音楽に誘われるように巣穴から出てくるんだ。それに、ほら、向こうに小麦畑が見えるだろ。オイラはパンを食べないから、小麦には興味がない。小麦畑を見ても何とも感じない。それは寂しいことだ。でも、オイラとあんたが絆をむすんで仲良くなったら、あんたの髪の毛は金色だから、小麦が金色に実るたびに、あんたの金色の髪を思い出す。そして小麦畑に吹く風までも好きになる。お願いだ。オイラと絆をむすんでくれ」
「そうしたいけど、あまり時間がないんだ。友達を見つけなきゃ。それに、いろんなことを知りたいんだ」
「絆をむすんだものしか、ほんとうに知ることはできないよ。人間はもう忙しくしていて、なにも知ることができないんだ。なにもかも、出来合いのものを店で買う。だけど、友達を売っている店なんてないから、人間はもう友達もいないんだ。ほんとうに友達がほしいなら、オイラと絆をむすぶことだよ」
「どうすればいいの?」
「辛抱強く待つことだね。はじめは、オイラから少し離れて、こんな風に草の中に座るんだ。オイラはあんたを横目で見る。なにも話しちゃだめだよ。言葉は誤解を招くんだ。そして、毎日少しずつ近くに座れるようになっていく」
そして、次の日、王子さまはやってきた。
「毎日、同じ時間に来てくれたら、もっといいなぁ! もし、あんたが午後四時にやってくるとすれば、オイラは三時頃からわくわくする。そしてあんたが来る時間が近づけば近づくほどうれしくなるんだ。四時になると、もうそわそわしたり、心配してドキドキしたりで、幸せがどんなものか知るようになる。でも、いつ来るのかわからなかったら、心の準備ができやしないよ」
こうして、王子さまはキツネと友情という絆でむすばれていった。
そして、別れの時が近づいてきた。
「ああ、オイラ泣いちゃうよ」
「それは、自分が悪いんだよ。ぼくは、悲しませるつもりなんかなかったもの。ぼくに絆をむすんでって頼んだのはそっちだよ」
「もちろんそうだ」
「でも、泣いちゃうんだろ?」
「そうさ」
「じゃ、なんにもいいことはないじゃない」
「あるさ、金色の小麦畑があるからね。もう一度バラの花を見に行ってごらんよ。あんたのが世界でたったひとつのものだとわかるから。それから、さよならを言いに戻っておいで、秘密を教えてやるから」
王子さまはバラを見に行った。そして、何千と咲いているバラは、自分のとはまるっきり違うことに気づいた。自分が水をやって、ガラスのカバーをかけて、不平や自慢話も聞いて世話をしたバラだから、自分のバラはこの世でかけがえのない、たったひとつしかないものになったのだとわかった。
そして、キツネのところへ戻った。
「お別れだね」
「お別れだ。これがオイラの秘密だ。とても簡単だ。心で見ないと肝心なものは見えないってこと。肝心なこと、奥にあるものは目では見えないんだよ」
「肝心なことは目では見えない……」
「あんたのバラがそんなに大切になったのは、あんたがそのバラのために時間と手間をかけたからだよ」
「ぼくのバラが大切になったのは、時間と手間をかけたから……」
「時間をかけて仲良くなった相手には、いつまでも責任があるんだ。あんたにはあんたのバラを守る責任があるんだ」
「ぼくには、ぼくのバラを守る責任がある……」
十 井戸
しばらくして僕は王子さまに言った。
「あぁ、どれもみんな良い思い出話だねぇ。だけど、まだ飛行機がなおっていないし、もう飲む水もない」
「友達になったキツネはね……」
「あのね、もうキツネどころじゃないんだよ」
「どうして?」
「のどが渇いて死にそうなんだよ!」
「死ぬかもしれなくても、友達ができたのはすてきなことだよ。ぼく、キツネと友達になれて、とってもよかったよ」
なにもわかっていないのだな、と僕は思った。(きっと、腹も減らなければ、のども渇かないのだ。少しの日の光があればいいのだろう)
王子さまは僕をじっと見つめてから言った。
「のどが渇いているの? 井戸を探そうよ。ぼくものどが渇いたよ」
(果てしない砂漠の真ん中で、あてもなく井戸を探すなんてバカげているよ。やれやれ)
それでも、僕たちは歩き出した。
何時間もなにも言わずに歩くうちに、夜になり、星が光りだした。僕たちは座り込んだ。
「あのね、星がきれいなのは、そこには、ここからは目に見えない花が一輪あるから」
「そうだね」
「砂漠が美しいのはどこかにひとつ井戸を隠しているから」
「そうだね」
それから、王子さまは眠ってしまったので、僕はそっと抱き上げて、また歩き出した。僕は胸がいっぱいだった。壊れやすい宝物を抱いている気がした。地球上に、これほど壊れやすい宝物はない気がした。月の光で、その青白い額を、閉じた目を、髪の毛が風にゆれるのを見つめた。今こうして見えているのは表面だけなのだ。最も大切なものは、目には見えないのだと思った。
こうして歩き続けて、夜明けに井戸を見つけたのだ。僕は夢を見ているのではないのかと思った。それは、人が住んでいる村にあるような井戸だった。しかし、あたりには村などなにもない。
「どういうことだろう? みんなそろっている。滑車も、つるべも、綱も……」
王子さまが綱をつかんで滑車を動かすと、きしんだ音がした。
「ほら、井戸が目をさまして、歌をうたっているよ」
つるべは王子さまには重すぎたので、僕が代わって水をくんだ。
「その水がほしいんだ。少し飲ませて」
その時、僕は王子さまの探していたものが何なのかわかった。その水はただの飲み水ではなかった。僕たちが星空の下を歩いて、滑車が歌をうたって、僕が腕の力を使ったことで手に入れた水だった。贈り物のように心にしみこんだ。
「地球の人たちは、ひとつの庭に五千ものバラをもっていても、自分の探しているものを見つけることができない。それは、たった一輪のバラや、ほんの少しの水の中に見つかるかもしれないのに……」
「そうだね」
「目では何も見えない。心で探さなくちゃ」
「ねぇ、約束は守ってね」
「なんの約束?」
「ほら、口輪だよ、ぼくの羊の。ぼくにはあの花を守る責任があるんだ。」
「描いてあげるよ。でも、どうして……」
「あのね、ぼくが地球に落ちたの……明日がちょうど一年目なの……このすぐ近くに落ちて来たんだ」
「それじゃ、偶然じゃないんだね。一週間前、初めて会った朝、ひとりで人里から何百キロも離れたところで、あんな風に歩いていたのは。落ちた場所に戻ろうとしていたんだね。一年目の明日のためだったんだね。もしかして……」
「さあ、もう、飛行機のところへ戻って、エンジンをなおさなきゃいけないよ。ぼくはここで待っている。明日、夕方に戻って来てね」
十一 贈り物
翌日の夕方、修理から戻ると、井戸のそばの崩れかけた古い石壁の上に王子さまが座っているのが遠くから見えた。
(誰に話しているのだろう?)
「じゃあ、おぼえていないの? そう、そう、今日なんだけど、場所はここじゃないよ。砂の上のぼくの足跡がどこから始まっているか見ればわかるから。そこで、ぼくを待っていればいいんだよ。今夜行くから。君の毒は、効き目があるんだよね。ぼくを長く苦しませたりしないよね。じゃあ、もうあっちへ行って。ぼく、下に降りるから。離れて」
僕は石壁の下に目をやって、飛び上がった。三十秒で命を奪うというあの黄色い毒ヘビの一匹が王子さまに向かって首をもたげていた。僕はピストルを取り出そうとポケットを探りながら走っていった。ヘビは僕のたてる音で砂の中へ消えた。王子さまは雪のように青白かった。胸は、猟銃でうたれて死にそうな鳥のように、こきざみにふるえていた。
「どういうことなんだい? ヘビと話しなんかして……」
「さがしていたエンジンの故障が見つかってよかったね。家に帰れるね」
(どうしてわかったのだろう?)
「ぼくも今晩、帰るよ。でも、もっと遠くて、もっと難しいんだ」
「ねぇ、悪い夢だよね。ヘビや、一年目の星との待ち合わせとか?」
それには、答えずに言った。
「大切なことは目には見えない」
「そうだね」
「花も同じだよ。ある星に咲いている一輪の花を愛していたら、星空を眺めると心が温かくなる。星という星全部に花が咲いているようなんだ」
「そうだね」
「夜には、星を見てね。ぼくの星は小さすぎてどこにあるのか、教えられない。でも、その方がいいんだ。ぼくの星は、いっぱいある星のうちのひとつだからね。どの星でも、見るのが好きになるよ。どの星もみんな友達になるんだ。今から、贈り物をあげるよ」
そして、王子さまは声をたてて笑った。
「ああ、ぼうや、その笑い声を聞くのが大好きだ!」
「これこそ、ぼくの贈り物だよ」
「どういうことだい?」
「他には誰も持っていない星をあげるんだ」
「どういうことだい?」
「夜、空を眺めた時、ぼくがたくさんある星の中のひとつにいて、そしてそこで笑っているから、すべての星が笑っているように思えるでしょ。笑うことのできる星がぼくの贈り物」
王子さまは、また楽しそうに笑ってから、続けて言った。
「悲しみが消えたら、ぼくと知り合ってよかったと思うよ。これからも、ずうっと友達だ。ぼくと一緒に笑いたくなる。だから、時々、気晴らしに窓を開けて、星空を見ながら笑っていると、周りにいる友達はみんなびっくりするよ。そして、その人たちに、『そう、星はね、僕をいつも笑わせてくれるんだ』と言うと、友達に頭がおかしくなったと思われるね。ちょっと迷惑な贈り物みたいだよね。たくさんの星のかわりに、笑うことのできる小さな鈴を山ほどあげたようなもの」
そして、また声をたてて笑った。
「あのね、こんやはね、来ないで」
「ひとりにはしないよ」
「苦しそうに見えるかもしれない……ちょっと死にそうに見える……そんなの見に来ることないよ」
「ひとりにはしないよ」
「それに、ヘビのこともあるし……ヘビに咬まれたらいけないから……ヘビは危ないよ、わけもなく咬むかもしれない……」
「ひとりにはしないよ」
「まぁ、二度目に咬む時には、もう毒はないと言うけどね……」
十二 旅立ち
その夜、王子さまが歩き出したのに気がつかなかった。音もたてずにいなくなった。ようやく僕が追いついた時、王子さまは心を決めたように早足で歩いていた。
「来ちゃったの? ダメだよ! つらい思いをするよ。ぼくは死んだように見えるかもしれないから……でも、ほんとうはそうじゃないんだ」
僕は何も言わなかった……
「わかるよね。遠すぎるんだ。この体を持って行けないんだ。重すぎるもの」
僕は何も言わなかった……
「でも、それは脱ぎ捨てたぬけがらのようなもの。ぬけがらは、悲しくないでしょう」
僕は何も言わなかった……
「ぼくも、星空を眺めるよ。すると、星という星がみんな井戸になってぼくに水を飲ませてくれるんだ。とっても楽しいよね。おにいさんには五億もの鈴ができて、ぼくには五億ものきれいな水の出る泉ができるんだ」
王子さまは口をつぐんだ。泣いていたのだ。
「あそこだよ。ぼくひとりで行かせてね」
王子さまは座り込んだ。怖かったからだ。
「あのね、ぼくの花、ぼくには責任があるんだ。ほんとうに、か弱くて、なんにもわかってなくて、役に立ちそうもない四つのトゲしか身を守るものがなくて……」
僕も座り込んだ。立っていられなくなったからだ。
「ただ、それだけ……」
王子さまは立ち上がって歩き出した。
僕は動くことができなかった。
王子さまのくるぶしのあたりで、黄色いものが光っただけだった。
一瞬動きが止まった。
声もあげなかった。
木が倒れるようにゆっくりと倒れた。
音もしなかった!
砂のせいで。
********************
あれから六年が過ぎた。
もし、いつかあなた方がアフリカの砂漠を旅することがあって、僕が不時着をした場所を通りかかることがあったら、お願いだから、急がずに、立ち止まって、星の下で、ちょっと待ってほしい。
もし、ひとりの男の子が来て、髪の毛が金色で、 笑っていて、何か尋ねても答えなかったら、それが、誰だかわかるはずだ。その時は、どうか、悲しみにくれる僕を放っておかずに、すぐ連絡してください。
あの子が戻って来たと……
あとがき
趣味と認知症予防で始めた朗読をするうち、気に入った作品を自分の朗読用に翻訳、編集するようになりました。何よりも5人の孫に読んで聴かせたいとの気持ちが強かったのです。そんな最中、思いもよらずご縁により、自身訳の「星の王子さま」が公開されることになり驚くばかりです。2018年からご指導頂いている朗読講師の辻曙美先生、朗読文庫の会 荒尾勝氏、同会の村井千種先生のご指導、ご助力の下、実現しましたこと、厚くお礼を申し上げます。
今回の朗読用翻訳は、1946年フランスでGallimard社から出版されたAntoine de Saint-Exupéryの「Le Petit Prince」を底本にしています。ずいぶん昔のことになりますが、1970年代にGallimard社の「Le Petit Prince」に出会い、何度も読んだ後、往年の名優Gerard Philippeと他5人による朗読レコードを手に入れ、暗唱するほどに何度も聴いて、王子さまのイメージが私の中で出来上がっていました。今回の朗読用の翻訳にあたって、登場人物のイメージ作りと、朗読用に省略して短くするのに、Gerard Philippeの朗読版を参考にさせていただ きました。また、題名の「星の王子さま」は日本で最初に翻訳版を出された内藤濯氏に敬意を表して、そのまま使わせていただきました。因みに、王子さまが悲しいときに眺めた夕日の数は、1943年にNew YorkでReynal&Hitchcockから出版されたものとは異なり、Gallimard版では43回です。仏語で朗読されたものも、私の知る限り、一例を除き、すべて43回です。翻訳にあたり、サンテグジュペリ原作の言葉と表現に、できる限り忠実にすることを心がけました。また、簡潔な仏語のリズム感も大事にするようにしたつもりです。この作品は子供向けに書かれたものではないものの、王子さまの年齢設定は、10歳以下の男の子と考えます。王子さまの台詞には難しい言葉を避け、また、「あなた、きみ、おまえ」などの呼称も使わないように工夫しました。
最後に。
原典Antoine de Saint-Exupéryの「Le Petit Prince」に見出しはありませんが、自身の朗読編集版にはつけました。全文を通して朗読なさるとき、見出しを読むかどうかは、ご自由になさってください。たくさんの方が朗読を通じ、それぞれご自身の王子さまが現れることを心より願っております。
2020年 4月 5日 鈴木しずか
訳者略歴
大学生時代から英日の通訳に従事。1970年、国際職員の夫の赴任に伴い、欧州に居を移す。子育てを通じて、様々な活動を経験し、傍ら英語・仏語を用いての通訳やヴォランティア活動に関わる。2000年に帰国。
「星の王子様」 鈴木 しずか 訳(朗読編集版)
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2020年4月20日 作成
本html編集 朗読ボランティアサークル「朗読文庫の会」(https://roudoku-bunko.jp/)